真言宗のお坊さんが着ている鮮やかな緑色の衣を「萌黄(もえぎ)」といいます。
そう、今ごろの新緑若葉の色です。
(もみじの萌黄)
(800年大銀杏の萌黄)
(フウリンウメモドキの萌黄)
(阿弥陀堂参道の木々の萌黄)
西生寺は今、萌黄色に包まれて一年で一番美しい季節を迎えています。
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怒涛の4月でした。
夫婦だけで千葉県の船橋に暮らしている実家の両親に大ピンチ襲来!!
横浜の妹と日頃から、
「高齢の両親の身にこんな事が起きちゃったらサイアクだよねー」
と話していたその筋書き通りのサイアクの事態が発生してもう大変でした。
「どうしよう~~」
と思うヒマもないくらい事は急を要し、
東京・横浜・新潟と離れ離れに暮らしている3人のきょうだいが力を合わせ、
互いにやれる事をして両親のピンチを何とか乗り切るべく奮闘するだけでした。
世間では、親子家族が直接会えなくたってリモートだメールだという風潮になっていますが、
非常事態発生下ではそんなんじゃまったく用も足せず、当然、結局のところ体を動かして
実際に親元に駆けつける以外に何の手段もないのだと思い知らされました。
どれだけ世の中が発展したところで「そういう部分は全く変わらないんだなー」と妙に感心したりして。
ということで「不要不急の県またぎは極力控えて」という新潟県の要請が連日ある中で、
遂にとうとうどうしても1度実家に行かなくてはならなくなり、
1年3カ月ぶりに母の待つ船橋の実家に行ってきました。
で、用事を済ませたらすぐに新潟にとんぼ返り。
いろいろあったけれど4月末には何とかかんとか事は治まり、
実家の父にとっても母にとっても「互いの新しい暮らし」がスタートしたのでした。
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こんな感じであっという間に怒涛の4月が過ぎ5月。
(4月は家族と県内の親族のみで長老さまの3回忌法要もありました)
月替わりで‶厄‶が落ちた気分になりようやくひと息つけた心境です。
さまざまな希望を込めて屋敷中のカレンダーをバリバリと「5月」にはがしまくりました。
それにしても両親が後期高齢者となり「今後、遠距離のハンデはあるだろう」とは思っていましたが、
今回ほど実家との距離(新潟と千葉)を恨めしく思ったことはありませんでした。
親と同居ではないけれどスープの冷めない距離?同じ県内やご近所に暮らしていて
何かあったらすぐに駆け付けられる家族がとってもうらやましく思えました。
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「何事も経験。すべて人生の糧になる」
「つらいこと大変なことでさえ経験してムダなことは何ひとつなし」
と、よくここの長老さまは私に言って聞かせたものです。
ま、いろいろあるけどなんとか乗り切り萌黄の5月を迎えました。
それだけでじゅうぶんです。
(永代供養墓天翔園より5/1撮影。地元の野積地区でも田んぼに水が張られ「田植え」シーズン到来)