風雪に耐えながら凛と咲く蠟梅(ロウバイ)の花が静かに見ごろを迎えている西生寺です。
この時期のお楽しみといえばコレ。
とってもユニークな形の野積地区の郷土食「ひんねり餅」です。
今年も村の檀家さんより、出来たてのひんねり餅をいただきました~。
それにしても私が初めて野積の「ひんねり餅」を見たときの衝撃と感動はすごかったです。
「なにこれーー食べられるアンモナイトじゃん!!」
「たまたまこの形になったわけでしょ?郷土食の奥深さは計り知れな~いっ!!」
ひんねり餅は「お餅」と言っても「もち米」ではなく、
普通の白米ご飯のお米「うるち米」を使うのが最大の特徴です。
ひんねり餅が野積地区(野積村)の郷土食となった背景はかなり明確です。
それは野積が「杜氏の村」だからです。
野積は昔から多くの「酒造りの杜氏」を新潟県内や全国に輩出してきました。
住職が子供だった昭和30年代~40年代は、一家の主が杜氏で長期間家を留守にしている
家庭は、村全体の8割ほども占めていたそうです。
「酒造り」では酒米を蒸した時に、蒸された米を板の上でひねりつぶし団子状にして米の状態
を確認する作業があり、この団子を「ひねり餅」と言い、その後焼いてみんなで食べたそうです。
年に2度、酒蔵から故郷の野積に帰省して来る杜氏たちが、なかなかに美味しいひねり餅を、
家にある「うるち米」を使って作り始めたのが「ひんねり餅」の始まりです。
食べ方は、出来立てのうちは何もつけないでそのまま。
カチカチに固くなったら火であぶって(もしくはオーブントースター)香ばしい焼き餅に。
表面をつぶして割れ目をつくり、醤油や砂糖醤油を染み込ませて食べます。
いつものお餅のようにやわらかくびよ~んと伸びたりはせず、
しっかりもっちりの噛み応えがあり、米のほのかな甘みを感じる素朴な味です。
生粋の野積っ子である住職の夫の大好物でもあり、
(海苔を巻いて磯部餅風が好き)
美味しくていくつでも食べられてしまうのですが、
アンモナイト1つでご飯一杯分の米が使われているというウワサなので、
くれぐれも食べ過ぎには注意です。
かつての野積ではどの家庭でも作られていた郷土食のひんねり餅ですが、いつでも気軽にお餅が
買える時代になったのと、アンモナイト型にひねり出す「専用器具」が必要でその老朽化もあり、
今では作る家も激減してしまいました。
*************************************************
さて、檀家さんにひんねり餅を頂いた日の夜、
お仏壇のお父さんとお母さんに
「ふたりの好物のひんねり餅をいただいたから明日、焼き餅にしてきますから楽しみに待っててね」
と予告して就寝したところ、
その日の夢に久しぶりに長老のお父さんが現れました。
夢の中のお父さんは、
お膳の前に座っていて向かいの私の顔を静かに見つめていました。
私は「お父さんは何のお料理を食べているのかな?」と思いお膳を見たら、
不思議なことにお父さんのお膳は空で何の料理も乗っていませんでした。
で、朝起きて気が付いた!
そうか、お父さんはひんねり餅が待ちきれなくて私の夢に現れたのだと。
「こうしてお膳の前に座って待っているから直子よ、うんめ(旨い)ひんねり餅を頼むぞ!」
ということだったのです。
こうしちゃいられないっ!!
さっそく砂糖多めのあまじょっぱいタレをたっぷりとしみ込ませた
「うんめえヤツ」の熱々を張り切ってお仏壇にお供えしました。
「お父さんお母さんお待たせしました~~どうぞ熱いうちに召し上がれ~」
遺影のお父さんのメガネがキラっと光った気がしました。
私が「お母さんの風鈴」と名付けている仏間そばの廊下に吊るしてある風鈴が、
1度だけチリンと涼しげに鳴りました。
無形文化財級!杜氏の村ならではの超ローカルフード、
みんな大好き「ひんねり餅」のお話でした。